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RYUTA SUZUKI's BLOG

Entropy

9月9日よりFaurschou Foundation(ファワスコウ・ファンデーション)でEntropy(エントロピー)というタイトルの若手作家を紹介する展覧会が開かれています。Entropyとは「乱雑な方向に変化する」という意味だそうです。
 紹介されているのは、何岸(He An)杨福东(Yang Fudong)刘韡(Liu Wei)孙逊(Sun Xun)赵赵(Zhao Zhao)于吉(Yu Ji)陈天灼(Chen Tianzhuo)の7人です。何岸(He An)杨福东(Yang Fudong)刘韡(Liu Wei)の3人は1970年代前半生まれ、孙逊(Sun Xun)赵赵(Zhao Zhao)于吉(Yu Ji)陈天灼(Chen Tianzhuo)の4人は1980年代前半から半ば生まれのアーティストたちです。

 昨今若い世代は、ノイズが響くような、もしくはバグやエラーのような"歪み"を求めて表現しているように見えます。中国はとても広く、歴史も長い国です。そのような中国は今、急速に経済発展をしています、と普通この経済発展をなんらかの事象の原因に据えがちです。確かに、今の北京の人たちの生活を目にしていると、中間層の生活の平均化みたいなものを感じます。つまり、生活は整理され、便利になり、教育も行き届き、安全で、と。一般にはとても良いことです。しかし、その一方で、アートが入り込む隙間というか、アンダーグラウンドな匂いは薄れていきます。最近の大気汚染対策でPM2.5の数値も下がり気味です。今回のEntropy展では社会に対するスパイスを自ら振りかけるような辛くて苦い表現が目立ちました。

 70年代80年代生まれの中国人の青春時代は、日本の90年代00年代の文化の動向に熱狂したことを少し考えてみたく思います。90年代00年代の日本の時代感はどういうものだったでしょうか。もちろん人それぞれ感じ方は違うと思いますが、バブル崩壊後様々な暗く重苦しい20年間だったのではないでしょうか。音楽や美術などの文化の動向のどの部分を切り取ってもこの20年間の表現は陰鬱な影をまとっています。しかし、それゆえにとても濃厚な表現が生まれていたとも言えます。
Entropy展のいくつかの作品の向こう側に私は"渋谷的なもの"や"新宿的なもの"を感じたし、彼ら中国の若い世代のアイデンティティの一旦が垣間見えたような気がしました。

 2010年代に入って中国のGDPが日本を上回り始めた頃から、にわかに日本人の心情に変化があったと私は感じています。それは「自信喪失」です。その頃より日本人が日本人であることの国籍区分のみを価値として過剰に誇ったり、他国を攻撃したり、日本国内でも何かの事象にヒステリックに反応したりと、以前まではかろうじてあった心の余裕みたいなものを感じにくくなりました。これらは私の個人的な見解ですが、90年代漫画やアニメで描かれていた作中の少年少女が現実世界では30〜40歳になる、つまりそれに熱中していた当時の10代が大人になったのが2010年代です。30〜40代と言えば社会を牽引する、本来ならパワフルな存在です。私自身がその世代でもあること、そして中国ではその世代は新しい価値観を切り開くパワーとして当世代人本人たちも、それより上の世代もその力強さを認めていることなど、それらのギャップから日本を眺めてえられる感覚なのかもしれませんが、自信がなく、争いを求めず、しかし少し神経質で、潔癖で、でもゆるくもある・・・、それがこの世代な気がします。我々世代は何かを生み出すことができるでしょうか。老害などという言葉があります。その意味を考えると、確かにと思う部分もありますが、今から30年後今度はこの世代が"無能な世代"として吊るし上げられはしないかと内心思ったりもします。もしかしたら日本が世界に与える影響は90年代00年代で創出しきってしまい、今後はその惰性で緩やかな20年がすぎ、今から30年後の2050年頃には世界から忘れ去られた"かつての国"になってしまうのではとなんとも言えない気分になったりもします。
 
 今後30年間のうちに今は予想できないことも含め様々なことが起こるはずです。私は近い将来、日中両国間もまたある種のシンギュラリティーを迎え、文化を含めたあらゆるものがレジームを書き換えなければならない自体が起こると感じています。その時自分はどのような立ち位置でいるのか、悲観と楽観が入り混じる(やや悲観の方が大きいでしょうか)心情を覚えました。

http://www.faurschou.com/
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