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RYUTA SUZUKI's BLOG

新しくなったUCCA

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新しくなったUCCA

北京798芸術区の中心にあるUCCA(ユーレンス・センター・フォー・コンテンポラリー・アート)。改修工事が終わり1月19日より正式にリニューアルオープンしました。リノベーションはOMAという建築事務所が携わり、もともと半導体などを生産する工場だった798のアイデンティティを残しつつ中国の現代アートの中心的役割を担うにふさわしい外観に変わりました。

さて、そのこけら落としの第一弾として展示しているのは邱志杰(Qiu Zhijie、チウ ヂージエ)の「Mappa Mundiー寰宇全图」です。寰宇全图とは“この世の大地図”とでも訳せましょうか。一見すれば様々な思想体系や政治的な枠組みをアーティストの視点で視覚化したドローイングの展示という解説で済んでしまう展示なのです。しかし、このところAIについて(とりわけ広州トリエンナーレでの展示が尾を引き)思いをめぐらす機会が多いのでどうしてもそれだけではなく思えてきてしまうのです。

地図とは、地理的な、すなわち海と陸地の境目を表すものです。が、それに東西南北(中国では東南西北の順で言います)という座標を加えれば、当然そこに国境の問題が発生し、それは21世紀の現在でも激しく書きかえられている極めて政治的な意味も持ち得ます。邱のドローイングは半ばマインドマップのようなものでした。しかし、人間の生活はあらゆる思想や情報にコントロールされ、純粋な理性は愚か、本能とされるものまで、どこまでが個人のものであるか定かではありません。すなわち、私たちが「美しい」とか「美味しい」とか思う気持ちは、政治的闘争ゆえの産物であるとさえ言えます。その意味では、邱のマインドマップは彼がどのような思想的影響を受け、それを体系づけたかという思考の動きが視覚化されたものだとも言えます。

「Mappa Mundiー寰宇全图」はプロジェクトベースで行われており、様々な場所で、そして様々なサイズで(今回のUCCAでは壁いっぱいのとても大きいもの)作製されています。その内容もかなり緻密なものです。何か、邱の、熱い思いを込めようという熱量が感じられます。しかし、それよりも引っかかったのは、このプロジェクトの演繹性です。

邱は1969年生まれのアーティストです。彼の世代は中国では画力の修練を積んで芸術家を志した世代です。福建省という地方出身の彼が、中国ではテクニシャンが集うとされる浙江美术学院(1993年より中国美術学院に改名)版画コースに在籍していたことからも、彼のドローイングスキルは一流だということが言えます。それなだけに、膨大なそして巨大なドローイングの質には確かなものがあり、ブレのない技術力が作品の安定感を醸し出している。それはまるで数学の公式のようにa+b=cという式が成り立つがごとくなのです。

2019年時点において人工知能ブームはかなり浸透してきました。そもそもこの人工知能ブームは第3次のブームだという人もいます。それはさておき、人工知能と聞いて、今まで私はアンドロイド的なもの、すなわち鉄腕アトムに代表される、人間の形をした人間よりちょっと何かができるロボットのことを、もしくはマトリックスや攻殻機動隊の世界を思い描いていました。その研究はまだ続いていますし、人工知能と聞いてアンドロイドを思い浮かべる人は現在でもたくさんいると思います。しかし、私がAIにおいて着目するのはAI研究が“人工知能”というコンピュータの擬人化を研究成果とすることではなく、むしろその研究過程において、例えば「言語は記号とメイングラマーとそれ以外のイレギュラーグラマーの組み合わせパターンである」とか、「人間の感情は、脳内のタンパク質の分泌パターンである」とかいう、人間の人間らしい活動が、ディープラーニングなどというパターン学習で、ある程度アレゴリズム化でき、関数で表すこともでき、演繹的な規則のもとに成り立っているということが明らかになったことの方なのです。

すなわち、ナラティブの完全消滅といいますか、人間が今までポエティックな意味を見出したがった、人間の持つ最も人間らしい不条理な部分とか、気持ちとか仁義や人情といったものまでが、数学的な統計やパターンに召喚されつつあるということ、このことが気になって仕方ありません。パソコンのGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェイス)のように、本来は「0」と「1」の計算なのにそれを言語化し、そこにヴィジュアルエフェクトを加え視覚化=現象化している仕組みのように、人間の目の前の尊い体験は、もしかしたら幻なのではないかと思えるのです。まるで仏教のようですが、私たちの人間としてのこだわりとか道徳とかは、本当は計算式で、目の前の現実は単なる幻象なのではないかと。したがって、そうであるからこそ、それらのアレゴリズムを誰がどのように価値付け、利用するかが、極めて政治闘争的であると言えないでしょうか。

現代アートはその性質上、”奥へ、奥へ”探検するような、未開の何かを開拓していくような表現が根本にあります。この邱のインスタレーションもインテリジェンスの大航海の果てに、何が待っているのかを探ろうとする、そのようなコンセプトが、UCCAの中国のこれからの芸術をリードしようとする決意に載せられ力強いメッセージになっていました。
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